<目次へ戻る
004・金本麻理子
インタビュアー:高田佳子(日本ケアリングクラウン研究所 代表)

Q. 金本さんは2003年の初めてのケアリングクラウン研究会に来てくださいました。その際に購入していただいた2002年のパッチ・アダムス講演会ビデオを観てロシアツアーに参加されました。それが、パッチ・アダムスとの出会いのはじまりですね?

A. そうですね。2003年のロシアツアーに参加しました。2週間の間、とても中身の濃い時間でした。当時「クラウン」も「ケア」もよくわかっていませんでした。ロシアのことを何も知らず、英語もロシア語も全然できませんでした。私は何もできなかったのですが、いろいろなクラウンが自分にアプローチしてくれ、親切にしてくださたったのです。もちろんパッチもそうでした。
11月のロシアはすごく寒かったけど、毎日人とのコミュニケーション、といっても英語ができないわけですから言葉ではないふれあい、リレーションシップとでもいうのでしょうか。つながっているという感覚がどんどん芽生えてきたのがわかりました。
 
Q. ケアリングクラウン研究会でそのお話を発表していただきました。その後すぐにまたパッチのツアーに参加されましたね。
 
A. 翌年春に今度はパッチの中国とチベットの旅がありました。クラウンに関しては、帰国後何度かやっていたので今度は少しは心の準備があったのですが、なんと私はそこで高山病になり緊急入院してしまったのでした。
その病院は、外国人も入院する一番良い病院だと聞いていましたが、日本のスタンダードとかなり違い、とても心細かったです。
その時、クラウンはいろいろなところで本当に必要な存在だと実感したわけです。もう、病院で患者さんがどういう気持ちでベッドに寝ているか、気持ちが身にしみてわかりました。食事もできず、動くこともできず、トイレにも行けず、24時間介護が必要な状態で、本当に大変だったのです。
そして、そんな私をパッチのクラウンツアーに参加しているクラウンたちが順番に訪問してくれるのでした。皆さん高いお金を払ってチベットに来たのに私のところに来てもらっていると思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。でも、皆は「ケアリングクラウンをしに来ているのだから、あなたとここにいられて嬉しいよ」と言ってくれるのです。

入院して2日目のことです。パッチ・アダムスとジネーブラ・サングィーニョが病院に来てくれて、4時間一緒に過ごしてくれた。点滴スタンド―木の棒の釘で打ちつけてあるようなものだったのですが、そこに風船を膨らませてつけてくれたのですね。すると病室にまるで花が咲いたように雰囲気が変わったのです。その時、体はとてもつらかったのですが、風船が生きたもののように感じました。人の息、そこに思いやりが入って膨らんでいるって感じたのです。すると、少し元気な気分になれました。

私はその時知らなかったのですが、本当に私は一時危なかったようです。トイレに行くのが嫌なので、水を飲まなかったら、20分おきに水を飲ませようとして、パッチがいろいろやってくれるわけです。

彼らが知っている日本語、たとえば「マツオバショウ」「スキヤキ」「てんぷら」といった言葉を連発し、笑わせてくれました。子守唄を歌ってくれました。注射をするときは、手をぎゅっと握ってくれました。もう、その愛が伝わってきて、私は本当に幸せでした。遠いところでICUに入院することになったわけですが、日本や家族が恋しいといったことは全くありませんでした。むしろ家族にばれないようにしたいと思っていたほどです。
 
Q. たしか脳が浮腫んでいる状態だったというようなお話でしたね。本当にご無事でよかったですね。
 
A. 体はつらくても、クラウン仲間のおかげで心は満たされていました。この経験を経て、私は元気になったら、人に返していきたいと思いました。パッチにも返したいし、他の人にも返したい。この入院経験で、クラウンは子どもだけの存在ではないことに気づき、本当にクラウンになりたいと思いました。
 
Q. その後またその年のロシアツアーに行かれたのですよね。(笑)英語の勉強方のアドバイスをさせていただいたことを覚えていますが、当時私は金本さんの大胆さと勇気、そしてコツコツ努力するその態度に驚かされたものです。
 
A. そうです。3回目のクラウンツアーの際に、パッチからゲズントハイトにボランティアスタッフとしてこないかと誘ってもらいました。そして2005年の夏3ヶ月間ゲズントハイトでボランティアをしました。昨年、今年と毎年夏にはボランティアに行っています。
今では、日本人のボランティア希望者の相談窓口となっています。ゲズントハイトでお手伝いしているのは夏だけですが、そういう意味では季節を問わず、ゲズントハイトボランティアをしています。
   
Q. 私がパッチと電話で話をするたびに、MARIKOの話がでます。フルタイムスタッフとして、来て欲しいといったことも言っていますね。
   
A. まだ病院はありませんが、将来病院が出来て日本からもボランティアがたくさん来るようになったら、そうしたいと話し合っています。まだまだ時間がかかるかも知れませんが。それまでに私もいろいろな能力を身につけておきたいと思います。
   
Q. ありがとうございました。

今回のパッチ・アダムス講演会の来日に際しては、日本人でパッチとかかわったことのある方のお世話をしたり、パッチと同じテーマで動いている方々のマリンロビーでの展示のコーディネートをしていただいたりと、本当にたくさんの協力をいただいています。

構想をつくる人、計画する人、動く人、現場のオペレーションをする人といろいろなタイプの人がいて、大きなプロジェクトが動きます。金本麻理子さんは、自分がマメに動きながら、人の心を動かすことがとても上手な人だと思います。パッチ・アダムスが、MARIKOをゲズントハイトのスタッフにしたいというのが、よくわかったような気がします。